フットボールの真実 大住良之

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help リーダーに追加 RSS 第208回 オシム監督のサッカーと日本代表のこれから(上)

<<   作成日時 : 2006/08/18 17:29   >>

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 7月21日、日本代表監督にイビチャ・オシムが就任しました。日本代表は8月9日にトリニダードトバゴとの親善試合、8月16日にイエメンとのアジアカップ予選を戦い、ともに2−0で勝利を収めました。

 東京で行われたトリニダードトバゴ戦は、立ち上がり見事なリズムで攻め込み、17分に三都主アレサンドロ(浦和)がFKで先制、22分には鮮やかなパスワークから三都主が抜け出してGKの頭越しに2点目を決めました。しかしその後はぱったりと動きが止まり、結局2−0のまま終了しました。

 新潟で行われたイエメン戦は、前半は動きが悪く0−0。後半25分に右CKにMF阿部勇樹(千葉)がヘディングで合わせて先制点を叩き込むと、ロスタイムにはFKに合わせてゴール前に飛び込んだFW佐藤寿人(広島)が貴重な2点目を決めました。

■自分らしいプレーを求めて

 残念ながら、イエメン戦では、後半もオシム監督が目指すリズムは生まれませんでした。すなわち、2試合、180分間を通じて「オシム・サッカー」が表現されたのは、トリニダードトバゴ戦の最初の25分間程度だったように思います。

 ジェフ千葉(市原)を率い始めた2003年から、オシム監督が目指すところはずっと変わりません。日本人の特徴を最大限に生かすサッカーです。

 大柄な選手も増えてきましたが、現代のサッカーでは、ヨーロッパのチームはさらに体格が大きくなり、日本人選手がいくら「背伸びをしても」追いつきません。たとえば、昨年12月の「FIFAクラブ世界選手権」のひとつの試合に出場したリバプール(イングランド)で最も「小柄」だったのは、MFジェラードの184センチ(!)でした。

 日本のチームが大きい選手を集めてそれに対抗しようとしても勝ち目はありません。それより、日本人の特徴を最大限に生かしたサッカーをつくり上げ、それで対抗するというのが、オシム監督の基本的な考えです。

 これは、「日本人だから」ということではなく、オシム監督がどこの国で指導することになっても同じだと思います。たとえそれがFIFAランキングで200位に近いチームであっても、彼は「自分らしく」プレーすることを求めるでしょう。サッカーという競技は、105メートル×68メートルのピッチ、7.32メートル×2.44メートルのゴール、そして11人ずつの2チームという以外に、ほとんど制約のないスポーツだからです。ロングボールを使おうと、ショートパスで攻めようと、勝つためにいちばんの方法であればいいのです。

■プレーする意味を見出せ

 そして忘れてならないのは、オシム監督の考えのベースには、サッカーをプレーすることで自分自身の人生に何らかの意味をもたせてほしいという哲学があることです。それはサッカーをすることの「喜び」です。自分自身の努力と献身で目指すプレーができたときの喜び、仲間と力を合わせて何かを達成できたときの喜び…。それを、プレーする一人ひとりの選手が感じ、そして周囲で見ている人びとにも伝わってほしいと考えているのです。彼自身が認めるように、オシム監督は「ロマンチスト」なのです。

 彼が選手たちに厳しい課題を課し、まったく妥協しない背景には、こうした哲学があります。彼と接していれば、選手たちもそれを感じます。疲れきっているところにムチ打ってさらに走らされるような練習でも、常識外のスケジュールでのトレーニングでも、オシム監督の指揮下であれば、選手たちは「自分のためになる」と感じられるはずです。もっといえば、「自分の人生のためになる」と思えてくるはずなのです。

■迷わずパス、そして次のポジションへ

 では、オシム監督の目指すサッカーとは、具体的にどういうプレーになるのでしょうか。私は、「ムービング・サッカー」というイメージをもっています。

 守備陣は組織を保ってしっかり守り、攻撃は前線の選手に任せる…。けっしてそうしたサッカーではありません。相手の守備組織を攻め崩すためにチームの全員が動き、互いの動きを関連づけ、試合を進めていきます。ここに、日本人の勤勉性、俊敏性、そして集団性がフルに生かされるというのが、オシム監督の考えなのです。

 以前、オシムが指揮していたジェフの攻撃を見るたびに、私は「快適」さを感じました。ストレスが少なく、フラストレーションがたまらないのです。いい状態の味方が目にはいれば、ジェフの選手たちはその瞬間に迷わずパスを出すからです。そしてここが肝心なのですが、選手たちはすぐに次のポジションに移っていくのです。

 他のチームであれば、そこに出すフェイントをかけて自分をマークしている選手の逆を取るなどのプレーが多く見られます。そうしたプレーのすべてが悪いわけではありませんが、多くは、チームとしてどう攻めるかではなく、自分がどうプレーするかばかり考えている結果、こうしたプレーが起こるのです。そして相手の逆を取ったパスを出すと、その結果がどうなるか、自己満足にひたりながら立ち止まって見ています。こうした選手たちは、オシム流に言えば、「チームのためにではなく、自分のためにプレーしている」ということになります。

 いいタイミングでサポートした味方を使わず、逆におとりにするようなプレーが多くなると、自然にサポートの動きが減ります。選手たちは動かなくなり、ボールをもった選手は孤立し、チームではなく個人としての戦いになってしまいます。それが、「ジーコ時代」の流れが悪いときのサッカーであり、Jリーグのトップクラスのチームにも頻繁に表れるプレーなのです。

■何のために考え、走るのか

 オシムが日本代表の監督に就任して以来、「走る」「考える」というテーマが盛んに語られています。しかしそれ自体は目的ではありません。走ることも考えることも、「チームとしてプレーする」という非常に重要な課題のために必要な「道具」にすぎないのです。いくら頭の回転が速くても、また疲れ知らずに走り回れても、「チームとしてプレーする」ということを理解できていない選手には、オシム監督の考えるサッカーはできません。

 「考える」ということについて、ひとつだけポイントを挙げれば、「見る」ことが非常に重要だということです。ボールの状態、味方選手のプレーをしっかり見て、その意図やプレーの結果を感じ取ることによって、「判断」が生じます。

 「見ているか」と聞かれれば、選手たちは誰も「見ている」と答えます。しかし漫然と光景が目に飛び込んでくることと、しっかりと目を見開いて味方の意図やプレーの結果を考えることは大きく違います。「オシムのサッカー」に限ったことではありませんが、しっかり見ることこそ、すべての判断のスタートなのです。(つづく)


大住良之(おおすみ よしゆき)
1951年神奈川県横須賀市生まれ。中学生のとき66年ワールドカップ・イングランド大会の放送を見てサッカーにのめり込む。74年一橋大学卒業後、ベースボール・マガジン社入社、「サッカー・マガジン」編集部勤務。78年より編集長。82年同社退職後、(株)アンサー所属。88年よりフリーランスのサッカージャーナリストとして活動。
74年西ドイツ大会以降7回のワールドカップ取材をはじめ、多くの国際大会、世界各国のサッカー事情を取材。新聞・雑誌を中心に執筆活動を続けている。
アジアサッカー連盟「1998年フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」受賞。
「日本サッカーライターズ協議会」事務局長。
女子サッカーのクラブチーム「FC PAF」監督。
<主な著書>
「理想のフットボール 敗北する現実」(双葉社 2004)
「代表戦記」(日本経済新聞社 2004)
「がんばれ! 女子サッカー」(共著 岩波書店 2004)
「アジア最終予選」(双葉社 2005)

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