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9月に中国で開催された第5回FIFA女子ワールドカップに出場した日本女子代表(なでしこジャパン)は、1次リーグA組で1勝1分け1敗の成績を残しましたが、残念ながらグループで3位にとどまり、準々決勝進出を逃しました。しかし最終的にチャンピオンになったドイツを相手に一歩も引かない戦いを見せたことは、大橋浩司監督が就任して以来3年間でなでしこジャパンが着実に力をつけ、世界のレベルに迫ってきたことを示すものでした。 今回は、なでしこジャパンの大橋監督ご自身にお話をうかがい、このワールドカップと、そこに至るまでの2007年の厳しい戦いを振り返ってみたいと思います。 ■ワールドカップ予選プレーオフの過酷 ―― ワールドカップ、お疲れさまでした。しかしそれにしてもことしは大変な年でしたね。ワールドカップに移る前に、まずその日程の話からおうかがいしたいと思います。 大橋 はい。ことしは、9月のワールドカップ前に、4月から8月にかけて北京オリンピックのアジア最終予選がありました。それも、なでしこジャパンが初めて経験するホームアンドアウェー形式での予選でした。さらに、オリンピック予選前には、ワールドカップ予選のプレーオフ、メキシコとの2試合がありました。 ―― 難しい試合でしたね。 大橋 なでしこジャパンとしては、ワールドカップとオリンピックというふたつの世界大会には絶対に出場しなければならないわけです。ワールドカップのプレーオフの相手がメキシコと決まったときには、厳しい戦いになると考えました。 ―― それは相手の力だけではなく…。 大橋 アウェーの試合地、トルーカが2600メートルという、私たちが経験したことのない高地だったからです。実際、行ってみて、こんなところでサッカーをやるのかと感じました。高山病にならないようにするために、着いてから2、3日はトレーニングになりませんでした。せいぜい散歩するくらいでしたね。そんな状況のなか、1点を争うゲームで選手たちはよくがんばってくれたと思います。 ■ベトナムに勝つのは楽ではなかった ―― ハーフタイムに嘔吐していた選手が何人もいたと聞きました。そんなメキシコとの激戦を3月10日にホームで、そして3月17日にアウェーで戦い、4月7日には早くもオリンピック予選がスタートしましたね。 大橋 私自身、帰国してから睡眠障害をかかえたまま2週間後にはキャンプにはいらなければならないという状態でした。 ―― その状態で、4月7日のベトナム戦(東京)、15日のタイ戦(バンコク)は、どのような試合を目指したのですか。 大橋 とにかく失点なしで勝ち点を取ればいいということですね。内容は問わない。ベトナムとホームで戦って2点しか取れないのかと思われたファンもいたかと思いますが、選手にとっては、本当に過酷な時期だったのです。 ―― その2試合を計画どおり2−0、4−0で突破し、選手たちはなでしこリーグを戦った後、6月に韓国との連戦(6月3日東京、10日富川=プチョン)を迎えるわけです。 大橋 この2試合が、オリンピック予選のヤマ場と考えていました。最初がホームなので、質の高いゲームをするために集中的な準備をしました。その結果、6−1というスコアだけでなく、内容も非常に良かったと思います。ただ、残念だったのは、アウェーで2−2で引き分けてしまったことです。油断があったわけではありませんが、やはり6点取った後のゲームというのは難しいですね。 ■アメリカ遠征の日程はかなり前に決めなければならなかった ―― オリンピック予選はまた1カ月半おいて8月4日にベトナムとのアウェーゲーム(ハイフォン)という日程で、勝てば出場が決まる試合になりましたね。 大橋 はい。そこは内容よりも勝ち点3を狙う戦いをすることにしました。オリンピック予選は、この後、8月12日に東京で最後のタイ戦ということになるのですが、私たちは、ベトナム戦の前にアメリカに行って親善試合をすることにしていました。 ―― オリンピック予選で最強のライバルと見られた韓国との連戦を1勝1分けで乗り切り、予選突破のめどが立ったからですか。 大橋 そうではありません。昨年、オリンピック予選の日程が決まった後に決めていたのです。メキシコとのプレーオフの日程も決まっていないとき、つまり、ワールドカップの出場権を獲得できていなかった時点でしたが、ワールドカップに出場することを前提に日程を決めたのです。 ―― どういうことでしょうか。 大橋 ワールドカップは9月です。しかしオリンピック予選は8月まであります。もしオリンピック予選を、それだけに集中して戦ってしまうと、ワールドカップの準備ができないと考えたのです。アメリカと親善試合を組もうと思ったら、前年にはプランをたてないと受け入れてもらえません。だから、メキシコには必ず勝つ、オリンピック予選は第4戦(韓国とのアウェーゲーム)を終了した時点でほぼ負けなしできているという前提でアメリカ遠征の計画をたて、試合を決めたのです。 ■これまでやってきたことを世界の舞台で表現したかった ―― それは、オリンピック予選で、昨年のアジアカップで勝ちきれなかった朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)ではなく、韓国と同じ組にはいったからできたことではないですか。 大橋 そうではありません。オリンピック予選は勝たなければならない、出場権を獲得しなければならないといいう前提ですので、たとえ北朝鮮と同じ組になっていたとしても、同じ計画だったと思います。それにアメリカ遠征は第5戦の直前ということです。第5戦が韓国あるいは仮に北朝鮮だったら、こうした計画はなかったかもしれない。しかし韓国との対戦は第3戦、第4戦で終わっていますから。 ―― それにしても、大胆な計画だったと思います。アメリカ遠征(試合は7月28日)から戻って、成田に到着後、そのままベトナムに向かったわけですね。 大橋 たしかに、オリンピック予選自体、初めてのホームアンドアウェーで、アウェーではコンディショニングなど難しい面がありました。しかし事前にホテルやグラウンドの視察をしましたし、相手チームの分析も、かなり時間をかけて綿密に行いました。この計画を成功させるための準備はしました。綱渡りのように見えるかもしれませんが、それほどまでに、ワールドカップには最善の準備をしたいという思いだったのです。これまでやってきたことを、世界の舞台で表現したいという一念でした。(次回につづく) 大橋監督インタビュー(中) http://footballtruth.at.webry.info/200710/article_2.html 大橋監督インタビュー(下) http://footballtruth.at.webry.info/200711/article_1.html 大住良之(おおすみ よしゆき) 1951年神奈川県横須賀市生まれ。中学生のとき66年ワールドカップ・イングランド大会の放送を見てサッカーにのめり込む。74年一橋大学卒業後、ベースボール・マガジン社入社、「サッカー・マガジン」編集部勤務。78年より編集長。82年同社退職後、(株)アンサー所属。88年よりフリーランスのサッカージャーナリストとして活動。 74年西ドイツ大会以降7回のワールドカップ取材をはじめ、多くの国際大会、世界各国のサッカー事情を取材。新聞・雑誌を中心に執筆活動を続けている。 アジアサッカー連盟「1998年フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」受賞。 「日本サッカーライターズ協議会」事務局長。 女子サッカーのクラブチーム「FC PAF」監督。 <主な著書> 「理想のフットボール 敗北する現実」(双葉社 2004) 「代表戦記」(日本経済新聞社 2004) 「がんばれ! 女子サッカー」(共著 岩波書店 2004) 「アジア最終予選」(双葉社 2005) |
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